わすれっぽいきみえ

みらいのじぶんにやさしくしてやる

自分のブログ記事を読み返す時と書く時

自分で書いたブログ記事を読み返すことが時々ある。

どういう気持ちで読み返すかというと、このブログ記事のサブタイトルに「みらいのじぶんにやさしくしてやる」と書いてあるので「今の自分に役立つか」で読み返す。過去の記事を書いた自分から見て今の自分は未来の自分に当たるから割とサブタイトル通りの読み方になる。実際たまに役立つからビビる。

ブログの記事を書く時の基準は以下になっている。

  • プログラミング関連の記事を書いてるか
  • プログラミング以外の記事を書いてるか
  • プログラミング以外の記事を書いた結果、プログラミング関連の記事が減りすぎてないか。
  • 記事の中身の濃さが薄すぎたり濃すぎたりしないか

プログラミング関連の記事を書いてるかを気にするのは今プログラマーをやってるからだが、プログラミング以外の記事を書いてるかどうかも気にするのはプログラミングだけやっててもそのうち飽きると思ってるからだ。プログラミング自体を面白くないと思ってるわけじゃないが、それしか話のネタがないと面白いことが何も浮かばなくなってきそうだからいろんなことに手を出してみてもいいんじゃないか、その時その時で何を面白いと感じるかは違うしな、と考えている。今の自分が何に興味を持ってたかを書いておくと、なんとなく未来の自分が手を出してみてもいい方向性が見えそうな気もする。あと未来の自分がプログラミングを仕事にしているかわからない。今はプログラミング関連の記事が減りすぎてないか気にしているが、未来の自分が気にするかどうかもわからない。

記事の中身の濃さが薄すぎたり濃すぎたりしないかを気にするのは、どちらかというと自分よりも読みに来た人のためだ。薄すぎると読んだ甲斐がなかった気持ちになるし、濃すぎると読むのが辛くなる。正直なところ良い塩梅はわかってないけども、最近になって多少は気にするようになってきた。前は濃さはあんまり考えずにやったことや思ったことをもっと書き散らすだけだった。最近は特別丁寧な言葉でなくてもいいが、変な言葉遣いをしていないかとか正しくない表現を使っていないかブログを書く時に気にしている。未来の自分が読み返した時に「あぁ、あの時よりもだいぶ言葉がよくなってきたのかな」と思えるといい。

ちょっと前に友人に「果たして自分が書いた記事が役に立つのかわからない。自分には役立つようにと少なくとも思って書いているが、別にこれはネットに公開するものではない気がする」と言ったら、「それを役に立つと判断するかどうかは読者が決めることで、記事を書いた本人が決めることではない。書いてみた記事に対して少しでもなんらかのリアクションがあったなら、読者に役に立ったかどうかはさておき思うところがあったからで、全く無益だったとは言えない」と言われて、なるほどと思った。なので他の人に役立つかは一旦考えないで自分に役立つことをこれからも書くと思う。本当は他の人にも役立つものであってほしいところだが、友人のいうとおり、その判断は私がするものではない。

基本的にブログの一番の読者は自分だ。

今年もお疲れさまでした。