わすれっぽいきみえ

みらいのじぶんにやさしくしてやる

読む本をどうやって見つけてくるのか

そういえば社会人として働き始める前からよく人に「どうやって本・映画を見つけてくるの?」と訊かれることに気がついた(おそい)。もちろん訊かれたそのときに無視せず答えてはいるけども、文章としてちゃんとまとめたことがなかったので、どうやって見つけるか習慣の話を書く。どのソースを当たっているかは書かない。

みたもの、きいたもの全部自分に関係があると思っている。直接私に向けられたものではなくても、自分の目に入ったら耳に入ったら自分に関係がある。突き詰めると自分に関係のないものは存在しない。すべての関係あるものの中から選ぶ。これが基本。

大事なことは「私はプログラマーであってデザイナーではない。だからデザインの話は関係ない」と考えるのではなく、「プログラマーだけどデザインの話が聞こえてきた。なんかデザインの話が私に関係あるのかもしれない」と考えることだ。「でもまぁ今はいいかな」というのは選ばないことにした、ということに過ぎない。

みたものきいたもの全部が自分に関係していると考える基本ができていたら周囲の何気ない情報が意識しなくても勝手に入ってくるようになる。喫茶店で誰かが『ミッション・インポッシブル』の話をしてて、なんだろうと振り返ってみたらその喫茶店にあるデカいモニターで『アイアンマン』がやってるなんてことはザラにある。その人たちの間で話が膨らんでったのか単にその人たちが映画タイトルを間違えてるのかはわからないけれども、そこから「そういや最近映画観てないな。最近何やってるんだろう」とか「この映画の原作マンガってどんなのなのかな。どのくらい映画と違うんだろう」とか探す・選ぶきっかけにつながる。

だからたまたま本のセールがやってることを知ったら何があるのか探してみる。本を見てみて読んでみようと思うものがなければ買わなければいい。本を見繕うより大事なことがあるなら、そのことに時間を割けばいい。ただそのときにいつも「本を見繕う時間がない」といきなり判断するんじゃなくて「これは何かのチャンスかもしれない」と考える基本がやっぱり重要で、「私には時間がない。だから本は探さない」というのは「私はデザイナーではない。だからデザインの話は関係ない」と言ってるのと一緒だ。

「どうやって本・映画を見つけてくるの?」と訊いてくる人の多くは「それにつながる重要なソースを知ってるんでしょ?」というつもりで訊いてくる。でもそうじゃない。初めから重要なソースがあるんじゃなくて普段から探してるから見つかる。これを言うと「ケチくさい」とか「教えてくれない」とか不平を言う人がいるんだが、本当に習慣が間違ってる。でもこの基本の習慣を身につけるのは難しいから楽してソースをあたろうとすることも気持ちとしてはわかる。私も「どうやって見つけてくるの?」という質問をすることはあるので、本当は耳が痛い。

いいものが見つかるソースを知ってるということも大切だが、正直私はあまりそういうソースを持ち合わせていないつもりで、「たまたま見聞きした何かをどう考えるか」について「全部自分に関係ある」と考えるようにしているから見つかるんだとしかあんまり言えない。それにいいソースを知ったところで、そこから読もう・探そうというモチベーションがなければ結局探さない。そんな風になるくらいなら「最近読んだ本の中でオススメのない?」と直接本のタイトル聞く方がまだマシだと思う。私は人からオススメの何かを聞かれる時、逆に「最後に読んだのどんなやつ?」とか「どういうジャンルがお好みでしょう?」とかまず聞き返すことが多い。

自分に関係があると考える習慣が完璧だとは思ってないが、その習慣がある程度はあるからなんかよさげなものが見つかるんだろう。初めから好きなものはほっといても目に入るから、好きかどうかは別として全部関係ある、例外はないと考える習慣は大事だと思う。よくどうやって興味を持つかが重要ですと本か何かで聞くけども興味が持てないから困ってるんだろ!と思うことも多いから、私はどうやって興味を持つかは深く考えないことにしてる。見たから手を出しました、っていう条件反射だ。見たんですけど気持ち悪いんで手を出しませんはアリ。ちゃんと選んでるから。でも基本の習慣が行き過ぎると全部欲しいと考える習慣につながるので、そこは今後の課題だと思う。

そんなことを考えながら以下の本を読んだ記憶があるけど、もう売っちゃいましたw(内容もあまり覚えてない)