わすれっぽいきみえ

みらいのじぶんにやさしくしてやる

ブログとは別に紙の日記を書くことの私における効果

ブログは基本的にネット環境のある人全員がアクセスしようと思えばできてしまうわけなので、私以外の誰かが読む前提で書くものだと心得ている。

でも、日記はどうだろう?わざわざ見せたりするのだろうか?

昔ある精神科医の人が書いた本に精神疾患の人が「私のすべてを書いてます」と言って日記をごそっと病院に持ってきて見せに来たと書かれてたのを読んだことがある。ここからしても、普通日記というものは自分のために書いて、わざわざ人に見せないものだと思う。

私は自分のためにブログとは別に紙の日記もつけている。確か中学くらいからつけていたはずなので、人生の半分以上日記を書いてる。それも紙の日記をつけている。そしてこれは誰かに見せるために書いているものではない。

きっかけは確か何気なく母親に「お母さんは日記つけてた?」と聞いたことだったと思う。なんでそんなこと訊いたのかは覚えてないが、返事は「ああ、つけてたよ。ただ残っちゃうものだから愚痴ばっかりだと滅入ってくるのよね。できれば今日あったいい話みたいなのを書いたほうがいいかなー」くらいの感じだったはず。「書くと何かいいことあるの?」とさらに質問した気がするけど、これに対して何と返事がきたかは忘れた。

今の私が当時の私に日記をつけるとどんな良いことがあるか教えるとするなら「自分に正直になる練習に使える」と答える。

愚痴や不安を話すとやたらアドバイスをくれる人や露骨に嫌そうな顔をする人がいる。友人に対してそういうことを話すと「その人のいいところを見つけたほうが良いよ」って多分言われる。友人に悪気がないのもわかってるから、そうだねとしか言えなくなる。ただ聞いてほしいけど、聞いてもらうのには重いなーと感じるとか黙って聞いてるのを相手に強いるつもりなくても話すのを遠慮することって誰にでもあると思う。そういうときに日記は黙って聞いててくれる。

不安や嫌いな人、嫌な出来事でもとりあえず書き出してみる。読み返して辛くなるならチラシの裏に書き捨てて、ゴミに出してしまえばいい。

個人的にはデジタルでメモ帳に書くよりも、紙の日記に書くことをおすすめする。文字が汚いとなお良い。文字が汚かったり、字がやたら大きくなったり、斜めになったり、やたら丸くなったり、そういうのが自分の精神状態をよく表してくれる。ちなみに私は自分の気が大きくなってるときに書いた日の日記の字は本当に大きい。罫線を完全に無視してる。

「残っちゃうものだから愚痴ばっかりだと滅入ってくるのよね」という母の話は正しい。ただだからって自分の中に溜め込んでいてもしょうがない。感じてることを感じてないことにはできない。そう思うから、思ってることの吐き出し方の練習、自分が本当に思ってることを試しに思った通りに書き出してみる練習に日記は使っていいと思ってる。

愚痴を書いてみるのは意外に悪くなくて、すごく時間が経って振り返ったときに自分のしょうもない一面が見れて、それなりに愉快な気持ちになる。

眠れないなーと思うときに日記を書くと私は眠れる。眠れない理由を延々書き出してみるのだ。考え事がやまないなら、ひたすら考えてることを書き出してみる。そうすると途中で馬鹿らしくなるか、単純に疲れるか、考えても仕方ないなって何かを諦めるか、なんか心情の変化が訪れて眠れる。良い精神安定剤だと思う。たまに盛り上がるのが良くない。

これまでなんか精神的にやばそうだなーと個人的に見てて思った人には何気なく紙のただのノートを「あげるよ」と言ってプレゼントしていた。たぶん私の意図は何も伝わってないと思う。でもまぁ書き出してみることで安心するのは一定の効果があるので、紙が嫌いでもとりあえず何かに書いてみればいいと思う。

なんでこんなしょうもないことで悩んでるんだ!と書いてみた結果思うなら、それはそれで良い。しょうもないことでも悩むことはあるんだなと気がつくことが大事だと私は思ってる。